先月で朝からの家庭教師は専門学校合格のため終了した。おかげでアラームをセットせずに寝れた。こっちの日曜の朝は毎週サンデーモーニングを見ながら朝食を食べる。現在の家にはテレビがないので、世間で何が起こっていようと知る由もないのだ。だから大雨で大変だと騒いでいることも全く知らなかった。昨日も、小物をアマゾンで午前中指定で頼んでいたものが届かず、珍しいこともあるもんだと思っていたら、いつも配達にやってくる大和のおっちゃんが「すみませんね〜、『あの』大雨で遅れちゃって」と言われて知ったのだ。
いつも思うことだが自然の営みに関して「被害」という言葉を使っていることが、人間が如何に自分都合で考えているかの証拠である。私が庭仕事中にハチに刺されてもそれは被害ではない。ではな何かというと「何でもない」のである。被害というからにはハチは「加害」したわけだが、ハチを加害者扱いしていくら訴えても意味がない。雨で流された人も、津波に飲み込まれる人も、たまたま自然が通った道に人が飲み込まれたという客観的事実しかそこにはないのである。それを聞いて「けしからん」という人は巨大隕石が落ちてくる地球滅亡の日でさえなんとかしようと考えるかもしれない。
昼から別の中学生の家庭教師。彼は非常にできた15歳なのだ。最近彼の家族が飼い始めた犬が元気よく私の腕に噛みつき、嬉ション(嬉しくてションベン)したことを2階にいる彼に伝えたところ、間髪入れずに彼は「すみません」と言ったのだ。今どきの中3がそんな共同体的責任を認識しているとは感心するばかり。良い生徒を持って幸せである。
帰りに必要な小物を買う。帰って即座に車に残りの家具を詰め込んでいく。今回は本棚、ドロワー、ジューサー、コップ等。なんだかスペースが余っている。とうとうYAMAHAの1000Mを持っていくか・・・、いや重くて面倒くさい。でも向こうで聞いてみたい。それは明日の朝に決めることにしよう。
そうだ、今回の何より記録しておかなければならないのは、冷蔵庫に関してである。引越して1ヶ月経とうというのに未だに冷蔵庫がない。それは以前書いたが、その冷蔵庫がもう京都の実家には届いているのである。

父から写真を送ってもらってはいたが、帰ってきて玄関を開けたとたんに目に入ってきたこの冷蔵庫に心底感動した。安物をアマゾンでポチらなくて良かった、心からそう思った。20年前のものにも関わらず状態が素晴らしい。造形も期待通りに美しい。製氷機能もバッチリだ。前の持ち主が「大切に使っていた」と自負していたことだけある。内部には数カ所割れはあるが、購入時すでに確認済みである。弟分のNR-B16RAも現在所有しているが、やはりドンとでかい。162Lと280Lの違いは確かに大きかった。メイン使いであればやはりこっちである。20年前の冷蔵庫で製氷機能があることには驚いた。

あわよくば自前で新居に持っていきたいと思っていたが、さすがのウェイクにもこれは乗らない。横倒しにしても無理である。そもそもよりによってこっちに来る直前に手を怪我した私が、60kgのデカイ塊を担げるはずもなかった。早速ヤマトにWeb問い合わせをし、むこうに到着するのは8日の予定となった。待ち遠しい。
妻に「8日に届くよ」と連絡したところ、「あとたったの5日だね」と返信がきた。はじめは数日冷蔵庫がないことを嘆いていた彼女も不便に慣れたのか、忍耐がついたのか、成長したものである。私は仕事で転勤族だったので、冷蔵庫がないことなどは度々あったが、彼女は人生で冷蔵庫がない生活というものを一度もしたことがない。
当たり前のものがない生活は、何をおいてもいい経験である。それがいずれ忘れる感覚であったとしても、だ。