読みたくない

2022年9月19日 15時13分

 祝日と台風が相まって急に休みになってしまった。まとまった時間でもない限りゆっくり書く時間もないので久々に落ち着いて机に向かっている。塾に関しては小学生集団クラスにやや進展があった。来年中学生になる生徒の個人レッスン移行に際して集団クラスを今月で卒業予定、そうして集団クラスは4年生だけで構成されることになる。

 また中学生の生徒の一人は受験生で、その下調べの為に各校に問い合わせたり、教育委員会が発行する公立高校の入試情報を集める。ご両親にその内容を中学校側より早く見てもらい、受験形式や勉強の進め方を話し合う。担当する生徒の傾向性上、「どこに行くか」というよりも「どこに行けるか」が大前提となる。せめてもの救いは少子化で定員割れが起きていることだが、国として見れば救いどころか危機なのだが。

 「どこに行けるか」ではなく「どこに行くか」を考えれるようになるためにも、個別レッスンに移行する6年生の生徒のように手は早めに打った方がいい。小学生の時に成績優秀なのはほとんどの場合、中学生で成績優秀には繋がらない。中1の半ば頃から「あら?」となってきて、2年生の半ばにはすでに「もう終わった」状態というのが典型的なパターンなのだ。そこでなんとか高校入試までにと家庭教師や塾で挽回を図るが、一度地に落ちたものを持ち上げることは容易ではない。

 そもそも落とさない。それがベストだが8割の学生およびご両親も落ちる前に「予防策」としてわざわざ手を打ったりはしない。無論それは予算的要因が大きい。だからこの5年間、依頼があった生徒の9割9分がその類だった。それもただ単に塾に通わせたり家庭教師を雇えばいいかと言えば否、その塾との相性や家庭教師の質にも大きく左右される。因みに落ちる前に塾や家庭教師を雇う家庭のほとんどは、進学校狙いの場合である。

 それからここでどうしても言及しておきたかったのは文章読解について。国語の授業でやる、あれである。かなり自信をもって断言できるのは、5教科全体の成績が悪い場合、文章読解も必ず悪いということ。これはあくまで理屈に過ぎないけれど、日本人の母語はもちろん日本語であって、日本語で問われている内容を理解していない人間が正しい答えにたどり着けるわけもないわけで・・・。

 分かりやすい例が「ア~エの4つで当てはまらないものを選びなさい」と書いてある問題を生徒が間違う。確認してみたら「当てはまるもの」を選んでしまっている。これはちゃんと読んでないからであって、なんでちゃんと読んでないかと言うと読みたくないからである。読みたくないのは面倒くさいからであって、面倒くさがって読まなければ読解力が伸びる可能性は皆無である。日本語もちゃんと読まない(読めない)生徒が、ましてやもう一つ追加で言語を学ぼうなんて無理難題であろう。その他の教科も全て日本語で書かれているわけであるから、実は読解力は学生にとって肝なのだ(そんなこと昔からみんな言っていることだが)。

 それがよく表れているもう一つの例は、1年生の数学で方程式が出てきたとき、式だけの問題は「めっちゃ簡単!」と豪語してスイスイ解いていく生徒が、「方程式の利用」に入った時点で急停止する。当たり前で、方程式の利用は全て文章問題だから、日本語を読む気がない上に、その文章をさらに式に置き換えることまでしなければならない。数学が苦手という多くの場合はこの類である。

 また読解力に関して、当てにならないのは「小説を読むのが好きだから読解はできるはず」という迷信である。まず第一に、小説が好きでよく読んでいる人の方が良いのは良い。けれどだからと言ってそのまま国語の文章読解が得意だ、ましてや数学の文章問題が得意だ、とはならない。なぜか。小説の場合は読んだ後に質問されたり、ましてや感想文を書くわけでもない。だから読んだ後のことを全く考えずに読む。1行1行を楽しんで後は適当に忘れる。そんなに深く考えて読んでいる子供は少ない。

 一方、文章問題はそこにある文を想像し、分析し、解釈して答えを導かなければならない。問われている問題を前提に読むことをしなければならない。それは娯楽として読書を楽しむこととはほとんど異なる営みである。これが学生にとってどうも拷問に等しいほど苦行らしい。今現在その打開策として、中学生には小学3年生の文章問題からやってもらっている。案の定うちの中学生徒4名全員がそこそこ苦戦している。それでもまだなんとか解ける範囲なので訓練にはなる。このアウトカムはいずれここで言及したい。

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