内田先生に会いに行く 1

兵庫県立美術館

 2025年7月11日はここ十数年で最も緊張した日だった。あの内田樹先生のご自宅で一対一でお会いする機会を頂いたのだ。記憶がまだ鮮明な間にここに記録しておきたい。

 先生のご著書に出会ってかれこれ10年以上経つ。教科書、子供向け書籍、新書から難解哲学書翻訳と解釈まで、そのほとんどを読んだしその中で言及された著書のかなりの数読んだ。おかげで自分が決して手を出さなかったであろう書物にもかなりの数アクセスした。先生の言葉がなければ、私は恐らく未だに起塾も結婚もしていなかった、と思う。少なくとも今の自分よりも遥かに愚鈍だったことは間違いない。さように影響は大いに受けたが迎合したわけでもない。先生の言葉が私たちに要請するのは自らの頭で考える成熟であって、何かしらを神格化したり思考停止することではないからだ。私が先生を敬愛する理由は、著書のコンテンツはもちろんだが、それと同じくらい先生の人柄(少なくとも媒体を通じて感じた)が好きなのである。

10年越しのファンメッセージだった。まさか返信があるとは思わなかった。先生のメールアドレスは完全にオープンなので、無数に私のようなメッセージを受信されているはずである。今見返すこと既に羞恥極まりない内容な上に、図々しくも直にお会いしたいという旨まで書いた。今後決して見返すことはないだろう。ただ、「先生の謦咳に生で接したい」その旨はどう転ぼうと恥を覚悟で伝えなければ、そう思った。先生はそんな若造のメールに、わずか数時間で丁寧にご返信下さり、あろうことか先生のご自宅にお招き下さった。

 約束の時間は15時。仕事はあらかじめ全てキャンセルしておいたので、午前中から神戸に乗り込んだ。先生のご自宅までは高速で1時間程度のはずだったが、当日の事故により高速を降りることを余儀なくされ、おおよそ1時間半で到着した。何をするか全く決めていなかった私は、気の向くままに神戸県立美術館へと向かった。入館して入場券を購入しようとすると、その日は「ひょうごプレミアム芸術デー」だということで無料で入ることができた。分かったような顔でそれぞれの作品に目を通して、1時間程で退館した。

次に向かったのは六甲おとめ塚温泉。入浴料が470円と異常に安い。建物が立ち並ぶ街のど真ん中にありながら源泉かけ流しらしい。脱衣所は1Fにあるが、風呂場に入るとすぐに階段で2F、3Fへと続く。タイルの鮮やかな水色が天窓から差し込む日の光と相まってなんとも良い。露天風呂の源泉に浸かって冷水に浸かってを繰り返した後、20分ひたすらにシャワーの水を頭からかけて身体を清めた。上がってすぐに館内にある食堂できつねそばを注文し、食べ終わった時刻はちょうど13時だった。

車で4分のところにあるクラッセ御影というモールに行き、15時の約束の時間まで野外テラス席で先生への質問リストをダラダラと編集する。かれこれ10年読んできた著書、聴いてきたラジオ、見てきた映像の集積から生まれる質問は膨大な量に及んで収取が全くつかなかった。もはや出たとこ勝負しかないことを悟り、スマホを置いた。午前中の美術館で芸術に触れたのも、温泉で身を清めたのも、感覚を司る右脳を活性化させて(?)先生に会う前にできるだけ邪念・煩悩・左脳思考を排除するためだった。ところが直前になっては、ただただ緊張が増すばかりで、深呼吸しようが瞑想しようがほとんどその効力はなかった。思い返してみればやはりあのメールはあまりにも図々しく、迷惑この上なかったと悔いた。

そうこうしているうちに気が付けば時刻は約束の15時の30分前になっていた。すかさずモールを出た。先生宅近くのコインパーキングに15分ほど前に着き、アイドリングしながら車内で再び深呼吸した。我ながらここまで緊張するとは思いもしなかったせいか、情けなくなってきた。5分前、先生宅まで一直線に歩いて行き、インターホンを押す。2回押したが反応せず、3回目でようやくベルが鳴る。鼓動が高鳴る。ガラガラっと引き扉が開き、先生の御姿が見えた。

今でもあの時、先生が第一声なにを仰ったのか覚えていない。ただ今までに聞いたことのない先生の声のトーンに驚いたことははっきりと覚えている。壇上で聴衆に語りかけているときのトーンからは3段階も4段階も低い、生の声というよりは「素の声」だった。気付けばすでに先生はスタスタと階段を上がって行かれ、僕は玄関で一人、靴の置き場を探した。

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