内田先生に会いに行く 3

「そろそろ縁側ラジオの収録に向かわないと」

 そうなのである。あの日、7月11日は先生とMBSアナウンサー西靖さんの「縁側ラジオ」の初めての公開収録の日だった。先生にメールをした後になって収録日が11日だったことを知り、慌てて応募したら当選したのだ。先生は打ち合わせのために5時半には現場に到着しなければならなかった。

「せっかく来てもらったんだから好きな本を一冊記念に持って帰って下さい」

そう先生は仰って下さったが、この膨大な量の書物の中から一冊を選ぶ思考の余裕がまるでなかった。ふと思いついたレヴィナスの「タルムード講和」や、先生が翻訳した「フランスイデオロギー」があるかどうか伺ってみたが、先生は苦笑しながらそれらは絶版なので1冊しか持っていないと仰られた。一冊の本を選ぶ代わりに、私はすかさず先生に用意していた色紙とペンを取り出し、サインを書いていただけるか伺った。先生はそれを笑いながら快諾して下さり、サインを書き終わると机の引き出しから使い込まれた立派な印鑑を取り出され、それをサインの左下に押印して下さった。サインには先生の師でである多田宏先生のお言葉「風雲自在」が大きく書かれれている。すかさず頂いた色紙を折らないように、カバンの中に忍ばせた二つ折りの段ボールに挟み、丁重にしまった。更に図々しくも先生と一緒にお写真を撮って頂くことに快諾を頂いたので、持参した一眼レフカメラを机に山積みの本の合間に三脚を立ててセッティングした。単焦点レンズだったのでカメラはコンパクトだったが、かなりのアップになってしまった。10秒セルフタイマーによって生まれた沈黙の瞬間はこれまた耐えがたいほどに長かった。一枚撮り終えると先生は「おさえでもう一枚」と仰ったので、お言葉に甘えてもう一枚撮らせて頂いた。

一連の流れが終わったところで「先生は電車で行かれるんですか」と訊くと、先生は「うん、じゃあ大阪まで一緒に出ましょうか」そう仰って下さった。梅田までは電車で行った方が圧倒的に早いので、駐車しておいた車のことは気にならなかった。なにより先生と電車移動を共にできることなど今後一生訪れない機会である。先生はご準備があられるので、私は一足先に下に降りて玄関前で待っていた。実はそうではなくて、近くに駐車したコインパーキングまで全速力で走っていた。前半で財布の現金を全て使ってしまっていたので、ダッシュボードに入れていた車用の財布を掴み、再び全速力で先生宅前まで走った。戻ってから3分程息を整えている間に先生は家から出てこられた。

歩くことたった2、3分ですぐ住吉駅に到着した。その間私は「こちらは東京よりも暑いですか」などと無意味な世間話をした。「家から出ない知の伝道師(by辺境ラジオ・縁側ラジオ)」の異名で知られる先生は、本当に無駄な外出を一切為されないらしく、所有されている車も移動目的のみでしか使用せず、いわゆる「おでかけ」に使用することはないとのことだった。改札まで着くと私は全速力で走って切符を410円で購入し、それを手に握りしめながら改札を抜けた。ホームに着いた完璧なタイミングで電車は到着しており、私たちはそのまま4席向かい合わせシートの窓側に向かい合わせで座った。電車越しに先生はカバンを抱え込むように座られ、私も同じようにリュックサックを抱えた。

車内では私の周りの人間のスマホ依存症の事例について話し、また先生から大瀧詠一との仕事や、山下達郎に関しての話を伺った。住吉から大阪までの27分間はまさに瞬く間に過ぎ去り、立ち上がられた先生はドアの一番先頭に立たれ、私はひたすらに先生の背中を追って歩いた。エスカレーターを上がり、改札を抜け、駅構内をスタスタと真っすぐ歩かれる先生が話される声は、不思議にも背中越しにはっきりと聞き取ることが出来た。オーディオをやるので音響には少しだけうるさいが、先生の声は肺辺りから頭のてっぺんまでの骨が振動しているように発せられているので、後ろからでもその低周波の影響でよく聞き取ることが出来た。信号待ち。最近の「レヴィナスの時間論」に次いで、先生は今カミュ論をご執筆中とのことだった。発売当日に買うことは間違いないだろう。先生は、今までであれば「これはまた今度の機会に書けばいい」というスタンスでご執筆にあたられていたらしいが、ここのところは「今書いておかなければ、そう思ってあれもこれもになってしまう」そのようなことを話されながら大通りの信号を渡って行かれた。その先はすぐ阪急東通商店街だった。

会場である梅田ラテラルまで続くその商店街は、絵に描いたようなガヤガヤした場所で、道行く人と煌々と光る店の看板で溢れていた。普段であれば絶対に歩きたくないその通りも、先生の後を追うことに必死なおかげでほとんど気になることはなかった。途中から雷鳴を境に激しいゲリラ豪雨が降ってきた。商店街のどんつきから会場までは屋根が無く、私はとっさにコンビニを探して傘を買いに走ろうかと思ったが、先生はそのまま濡れて行かれると仰ったので、私は為すことなく先生を見送った。ふと振り返った商店街通りは、ついさっきまで歩いてきた道とはまるで違う様相と化していた。

つづく

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