2025年8月7日
7時半起床。天気は雨。日が差し込まないせいか、塾生たちは全員声をかけても頬を叩いても起きる様子はなかった。一人起きた彼にみんなを起こしておくように伝え、一足先に食堂へと向かった。今朝は、昨日から合宿で来ていた女子バドミントンクラブ、恐らく高校生の団体が配膳の列をなしていた。彼女らは後からくる先輩と思しき女子が入ってくるたびにそこへと駆け寄り、「おはようございます」と律儀に礼をしていた。僕ともう一人小学生の塾生は、ベンチに座りながらその様を傍観していた。善くも悪しくも、未だにああいった「型」が現代のクラブ活動にも残っているのかと驚いた。そこに唯一無かったのは、見るからにスパルタな監督的存在だった。先生、コーチと思しき大人はみんな若く、見るからに優しそうであった。
それに続いてきた少年サッカーの集団が配膳を受けたのち、僕たちはそれぞれの注文内容を受け取った。昨日の朝食も踏まえて分かったのは、ここでは圧倒的に和食を選んだ方がボリューム・栄養バランス共によいことだった。公示はされていないが、ご飯とみそ汁もおかわりができる。塾生たちにはしっかりと食べてもらわないと困るので、今後またここを利用する際は、一括して和食にするだろう。現に4つほどのスポーツ集団の朝食を見てきたが、朝食は全て和食で統一されていた。ともあれコーヒーがセットになっているのはパン定食しかないので、僕には選択の余地がなかった。
食後、宿泊棟に戻り、布団のシーツをすべて取り外し、布団を正しくたたむよう細かく指示した。雨が降っているので外での集合写真は解散時に撮れないことは容易に予測できた。通路の壁をバックに全員で記念撮影を済まし、そのまま研修室へと向かった。勉強が始まると、彼らは比較的に集中して課題に取り組んだ。やはり午後よりも午前の方が集中力は保たれている。但し、十分な睡眠と十分な朝食を食べていることが前提である。午前中に家庭教師に行くと、20分前に起きたばかりなどというケースがあるが、その時間の指導はほとんど無意味に終わる。
3時間は瞬く間に過ぎてゆき、終了時間が迫るにつれて生徒たちは落ち着いていられなかった。最終的に、ある小学生はこの3日間で150ページ近いワークを消化し、ある中学生は本を完読して読書感想文をギリギリで仕上げ、ある高校生は(かなり尻を叩きながら)大量の夏休み課題の7割強ほど消化したものの完遂には及ばなかった。個々の塾生の様子は後日、親御さんに伝える予定である。
終了時刻15分前、僕はなんとなく最後列に座り、思いつきでひとりひとり今回の所感をみんなの前で述べるように言った。ブーイングの嵐だったが、しぶしぶ彼らはそれに従った。一番最年長の塾生は最初に教壇に立ち、勉強は苦行だったがみんなと一緒に遊んだことは楽しかったと話した。それに続いた彼の弟は最も無口なタイプだったが、意外にも最も多くを語り、感謝の言葉で締めくくった。後に続いた後輩たちは高校生の先輩二人の言葉をほとんど模写してその場をしのいだ。最後に僕が合宿の元々の趣旨とその末路について3分ほど語った。それが今回の合宿で唯一ぼくが彼らに語った論説らしいものだった。
これから彼らはいつもの生活へと戻っていく。合宿の思い出は、消え失せないにせよ、まるでそんなことはなかったかのように、いつもの堕落した生活に戻る。真の教育が本当の意味で商売になりえないのは、その結果が実を結ぶのに10年、20年、30年とかかるからである。いい年をした大人になり、人生がなんとなく上手くいかず、不意にベッドに横になってぼーっとしている時、ああ、あんなことあったな、あれは楽しかった、あの頃俺は身体で生きてた、そう思い返す日が来る時、初めてかつてのインプット(経験)がアウトプット(行動)へと転じる。この「時間差」は人間の成熟にとっておそらく不可避であり、カオスであり、経済学で語るにはあまりにも非合理なのである。
彼らに伝えたいことは、言葉にしたとたんに陳腐になり、単なる説教と化し、彼らにはほとんど良い影響を及ぼさない。だから今回も、余計なことはほとんど口にすることはなかった。前を向いて勉学に取り組むこと、きちんと生活すること、みんなで一緒に遊ぶこと、それに尽きた合宿だった。一人一人がいったい何を得たのか、僕の知るところではない。ただ僕たちはあの時、たしかに共に生活し、勉強し、遊んだ。全員が全員の存在を認め合った。そのことをいつか、思い出す日がきっとくるにちがいない。