新学年が始まって2か月が経った。今年は少し仕事内容も様変わりして、「ひょんなことから」自分の母校の高校で特別非常勤講師として働くことになった。20年前に入学した年、創立80周年記念として校庭で「80」の数字の人文字を作らされた記憶がある。教師として就任したのが今年創立100周年。学生時代の恩師と呼べる人たちが唯一いる学校でもあるのでご縁を感じざるを得ない。
当時、非礼極まりない小僧だった僕の面倒を見てくれていた先生は軒並み校長、副校長、教頭となられていた。引退された先生方もいらっしゃったが、多くの教員の顔に今でも見覚えがある。顔のシワや白髪が増えたくらいで、とても20年経ったとは信じがたいほどに変わっていなかった。
変わっていなかったと言えばあの校舎もほとんどあの時のままである。それどころかそこにいる生身の生徒たちでさえあの頃と何も変わっていない。学生たちの間で流行っているものが変わり、あのガラケーがスマホになったところで高校生は高校生なのだ。唯一、女子高が共学になったことで男子の存在が増えた(以前は特進クラスにのみ男子がいた)。そして女子の活発性に押されて萎縮している男子たちという構図もなにひとつ変わってはいない。
授業はと言えば私塾歴が長いので違和感はない。むしろ新鮮味しかなく、TTというスタイルで偶然にも同じ90年生まれのアメリカ人とペアで教えるという稀有な経験をさせて頂いている。彼はALTではめずらしく勤勉に日本語も勉強して話すことも理解することもできる。僕を教えていた当時の女性ALTは今でも還暦近くで在職しており(しかも机が隣)、相も変わらずまったく日本語ができない。
今日はALTの彼が生徒に向かって「Repeat after me」と言った瞬間に、中学校の英語担当だった吉野先生を思い出した。つぶらな目と天然パーマで発音に強い癖があるあの先生の傍らには顔も思い出せないALTが立っていた。あの吉野先生の仕事(ALT補佐)を20年以上経って自分がやっているなどとは夢にも思わなかった。
母校に帰るとあの場所がほとんどそのまま残っている。まるで自分が受けた教育が間違っていなかったと保証してくれるように。学校の存続の意義の一つはそういうことなのかもしれない。ただそこにあり続けることだけにも価値は累積的に宿っていく。すくなくとも僕にとっては。